続・禁煙タクシー

禁煙タクシーに乗った話を以前書いたのだが、その4ヶ月後にまた遭遇した。そして先月、同じ大阪駅で3回目の禁煙タクシーに乗った。大阪には禁煙タクシーがだいたい200台に1台ぐらいらしく、私はかなりよく当たっている。

今回は1回目と同じ運転手さんだった。よくしゃべる人なので、1回目と同様にいろいろインタビューしてみた。

  • 大阪の禁煙タクシーの数は、7月の時点で140台ぐらい
    2005年10月の時点では108台だったので、だいぶ増えてきている。
  • その中で大阪駅に入ってきているのは3台
    私はそのうち2台に乗ったことになる。
  • 大分ではすでに本格導入されている
    大部分の車両が禁煙になっているらしい。 → 関連ページ
  • 名古屋でも2007年5月から導入予定
    全面禁煙にするらしい。 → 関連記事
  • 禁煙タクシーにする時にはだいぶ悩んだ。営業のしかたも変えた。飲み屋街には行かないようにしている

前回話を聞いてから1年あまりの間に、だんだん普及してきているようである。新幹線や飛行機のことを考えればタクシーは乗っている時間が比較的短いし、車内はせまいから前の客の吸った煙がもろに残る。これからますます禁煙タクシーが増えていくことだろう。

京都会館の南こうせつ

9/23の「吉田拓郎 & かぐや姫 in つま恋2006」。1975年に行われた同メンバーによる「コンサート イン つま恋 1975」から31年、再び同じ地でライブが行われた。NHKハイビジョンチャンネルで生中継していたのでリアルタイム+録画で観た。

昔とは時代も年齢も違うのでのんびりムードだったが、拓郎もさることながら、かぐや姫が3人そろったステージが久しぶりに観られてよかった。長丁場だったので、ファーストアルバム「はじめまして」に入っている曲など、マイナーなのもやってくれたし。10/29には、大相撲中継のため放送されなかった部分を含めた総集編が4時間にわたって放送されるらしい。それも併せて、しばらくは何度も観て楽しむことになりそうである。

私はかぐや姫のライブを観に行ったことはないが、南こうせつのライブに行ったことは2度ある。そのうち1度は京都会館で1人で見た。今からもう20年近く前のことになる。その時のことを書く。

京都会館の時の1曲目は「マキシーのために」だった。前述の「はじめまして」に入っている曲である。これには意表を突かれた。他の観客も「1曲目にこれを持ってくるとは」という反応だった。こうせつのことだから意表を突くねらいがあったのかもしれない。

こうせつのライブは、曲もさることながらMC(曲の間のしゃべり)がおもしろいので楽しい。この日も軽妙なしゃべりで笑わせてくれた。

京都でこうせつといえば「加茂の流れに」。これも「はじめまして」に入っている名曲である。この曲が聴けるのかなと期待していたが、一向にやろうとしない。逆にMCで「京都といえばこの曲だよね」とか言いながらイントロをギターで弾いたりするが、それだけ。なぜか演目としてちゃんとやってはくれない。「中途半端なことをするなあ」と思いながら観ていた。

そうこうしているうちにライブは盛り上がり、アンコールも2回。いいコンサートだった。こうせつが去ったあと会場のライトがつき、BGMが流れて「本日の公演は終了しました」とアナウンスが入る。「帰ってください」という合図である。「終わったな」と思ったのだが、盛り上がった勢いでみんな帰らず、明るくなった会場で3回目のアンコールの拍手を続けていた。「終わりの合図があったのだからもうダメだろう」とは思ったが、「ひょっとしたらこの盛り上がりに応えてまた出てきてくれるのではないか」という淡い期待も抱いていた。

それでもあまりに長いので手をたたき続けるのにうんざりしだしたころ、突然BGMが止まってライトが消えた。拍手が止む。ギターを持ってこうせつが登場した。そして何も言わずにイントロを弾き始めた。「加茂の流れに」である。会場は水を打ったように静かになった。

♪やさしい雨の 祇園町 加茂の流れに映る あなたの姿

2階席にいた私には、全員が息をのんで聴いているのがわかった。静まりかえった会場にこうせつの歌が響きわたる。ギター1本で最後まで歌い終えると、こうせつはぶっきらぼうに「どうもありがとう」とだけ言って去って行った。場内割れんばかりの拍手。

これは予定の演出だったのかもしれないが、あの、会場全体が一体となって曲に聴き入る感覚は今でも忘れられない。2階席でよかった。今までに行ったコンサートの中でも最も心に残るシーンである。

色覚異常(3) 発覚

私が子供のころは、小学1年の健康診断で色覚検査があった。色覚異常(1)でも書いた、石原式色覚検査表というやつ。小さな円が集まった模様の中の数字を読ませる検査である(サンプル ※2010.7.28 リンク先変更)。

この検査表、1つ目はいつも非常に見分けやすい模様で、たいてい"12"と書いてある(サンプル)。そして2つ目に早くも「ひっかけ問題」がある。普通の人には"8"に見えるが色覚異常者には"5"に見えるのだったかその逆だったか、とにかく見えたと思って答えると不正解という意地の悪い模様である。私はこの2つ目で間違え、3つ目以降は全く読めなかった。

ここで担任の先生と保健の先生が険しい顔になり、何か相談を始めた。そしてクラス全員の検査が終わるまで横で待つように言われた。私は自分の色覚異常について全く知らなかったから、何が起こったのかわからない。クラスメートが検査を受けているのを横で見ていると、ランダムにしか見えない模様を見てなぜかみんな数字を答えている。きつねにつままれたような気分だった。「自分だけ何かおかしいのか?」という疑念が頭をもたげる。

それでも私は狡猾にも、みんなが答えている数字を全て覚えることに成功し、二度目の検査ではそれらを答えて、保健の先生に「色は見えてるよね」と確認されたあと一応釈放となった。

しかし学校から両親に連絡が行ったらしく、後日母に連れられて眼科を受診した。当然色覚異常という診断だった。つい最近になって知ったのだが、両親は遺伝の関係で私に色覚異常の可能性があることを知っていたので、「心配していたことが現実になった」という状況だったらしい。

軽度の色覚異常の場合、それが判明するのはたいてい最初の検査の時であり、その場でまわりの人(この場合は小学校の先生)がどういう対応をとるかというのは結構重要である。石原式検査表の読めない児童がいたときにクラス全員が終わるまで横で待たせるというのは、おせじにもよい対応とは言えない。色覚異常であることが確認されたのだからそれを記録した上で、本人にきちんと話をしてくれるか、サラッと流して両親に連絡してくれたらよかったのだが。当時は色覚異常の認知度が今より低かったとはいえ、男なら20人に1人ぐらいの割合なのだから、平均してクラスに1人ぐらいはいたはず。少しでも慣れた対応をとってくれなかったのは不思議である。

現在では小学校の健康診断から色覚検査が廃止されている。しかしこれはこれでよいこととは思えないのである。

(つづく)

20 YEARS WITH BLUEGRASS MUSIC (NAKASHIMA FAMILY BAND)

中島ファミリーバンドを初めて見たのは、1989年夏の宝塚ブルーグラスフェスティバルだった。土曜の夜、仲間とステージを観ていると、まわりがなんとなくそわそわしている。プログラムを見ながら「もうすぐ中島ファミリーバンドだ」とか言っている。聞けばその名の通り家族のバンドで、福岡の中学生・小学生の姉妹なのだがムチャクチャにうまいという。その前年に宝塚夏フェスでの鮮烈デビューをしていたそうなのだが、私は参加していなかった。大学時代から今まで、宝塚夏フェスに行かなかったのはこの1988年だけ。不覚。

みんなの言う通り、中島ファミリーバンドのステージは本当に鮮烈だった。四姉妹(バンジョーフィドルマンドリン、ギター)が4人ともバリバリに弾く。感動したしショックも受けた。それ以来、参加したフェスに彼女たちが出る時は必ずステージを観に行くようにしていた。

"20 YEARS WITH BLUEGRASS MUSIC"は中島ファミリーバンド3枚目のアルバム。すばらしいアルバムである。買ってから何度も聴いている。

インストと歌が半々ぐらいの構成。6曲のインストは全てオリジナルである。いずれもカッコよくて、作った人の好みがよく出ている感じがする。特にフィドルチューンの組曲"IN FUSION"は圧巻。アジアンテイストやアイリッシュ風の曲が組み合わさってとても気持ちよく聴ける。

そして豪華ゲストとの共演。スチュアート・ダンカン、サム・ブッシュ、デビッド・グリア、アリソン・ブラウンなどのトッププロが参加している。すごいというかうらやましいというか。特に私としては"CAN'T YOU HEAR ME CALLING"でサム・ブッシュと共演しているのがうらやましい。マンドリンの絵美さんは昔から結構ブルージーなというかドーグっぽいというかシュールな(?)ソロを弾く印象があるのだが、この曲でもそれがよく出ていて、サムとの掛け合いもキマっている。ただ、サムのファンとしてカラく見ると、この曲での彼のプレイはちょっと雑か? 彼はキーがAの時に雑なソロを弾くことが時々あるように思うのだが、それが少し出てしまっているような気がする。

このアルバムで最も気に入っているのは"I WANT TO BE A COWBOY'S SWEETHEART"。宝塚フェスでもやっているのを聴いた記憶があるのだが、やり慣れている曲のせいか、美砂さんのボーカルは気合が入っていて、バンドとしても盛り上がっているので楽しい。加えてライナーノーツでアリソン・ブラウンも書いている通り、最後のツインフィドルは必聴である(ところで、CDに入っている写真のスチュアート・ダンカン、おじさんになったなあ... プレイは相変わらずすごいけど)。

タイトル通り、ブルーグラスを始めてもう20年になるとのことである。私が最初に観てからでも17年経っている。また生で演奏を聴かせてもらう機会があるといいのだが。

色覚異常(2) 伴性遺伝

いろいろなところに書かれていることであるが、まずは色覚の遺伝について。色覚は伴性遺伝と呼ばれる遺伝のしかたをする。

人間の遺伝情報は23対の染色体ペア(各ペアの片方を父親、片方を母親からもらう)の上に乗っており、そのうちの1対の性染色体がXYならその人は男性に、XXなら女性になる。子供の性別は父親のXYのうちどちらをもらうかによって決まる。Xをもらえば女性に、Yをもらえば男性になる。

色覚を決める遺伝子はこの性染色体に同居している。このように性別を決めるのと同じ染色体ペアで運ばれる遺伝を伴性遺伝という。

そしてここがポイントなのだが、色覚を決める遺伝子はX染色体のみにあり、Y染色体にはない。したがって男性の場合はXYのXの方にどんな色覚遺伝子が乗っているかのみによって色覚が決まる。女性の場合はXXの両方に色覚の情報があるが、片方でも色覚正常の遺伝子が乗っていればその人の色覚は正常になる。XXの両方が色覚異常のときのみその人は色覚異常になる(= 色覚正常が遺伝的に優性、色覚異常は劣性)。

X染色体のうち色覚正常の遺伝子を持つものをX、色覚異常の遺伝子を持つものをX'と書くと、以下の組み合わせが存在する。

保因者というのは女性にのみ存在する。色覚が正常な女性が保因者かどうかは色覚検査をするだけではわからない。

男性の場合は片方がX'になっているだけで色覚異常になるのに対し、女性は両方ともX'でないと本人の色覚は正常になるので、色覚異常者は圧倒的に男性に多い。ただし女性の2つのXのうち片方がX'だと保因者になるため、女性の保因者の割合は男性の色覚異常者より高い。日本人の中のこれらの割合はよく「男性で20人に1人、女性で500人に1人、女性の保因者は10人に1人」と言われるが、きちんを調査したらしき値の載っているページを見つけた。

このようなX連鎖劣性遺伝としてよく知られているのが色覚異常(color blindness)である。人種差があり、男性中の頻度は、一番低いのが北米のアメリカ・インデイアン1.1%であり、エスキモー2.5%、日本人4.4%、韓国人5.5%、メラネシア人4.6%、イギリス人6.7%、フランス人9%、ロシア人9.2%と報告されている。女性の色覚異常の頻度は男性の頻度を二乗した値である(日本人の女性では約0.02%)。

愛育ねっと2004年11月解説コーナー: 子は親にどこまで似るか

(最後の「日本人の女性では約0.02%」というのは「約0.2%」の間違いだと思う)

調査のしかたやどこまでを色覚異常とするかによって割合は変わると思うが、ここに書かれている通りだとすると、男性の色覚異常者が4.4%ということから日本人のX染色体の4.4%に色覚異常の遺伝子があると想定できる。女性の色覚異常者はその2乗で0.19%、女性の正常者(保因者でもない)は(100-4.4)%の2乗で91.4%、保因者が残りの8.4%ということになる。

これからすると日本人は男性の23人に1人、女性の520人に1人が色覚異常で、保因者は女性の12人に1人である。フランス、ロシアなどの国では色覚異常者も保因者ももっと多いことになる。
さて、上の書き方でいうと私の性染色体はX'Yである。それがわかったのは6歳の時だった。

(つづく)

陰日向に咲く(劇団ひとり)

陰日向に咲く

陰日向に咲く

「なさけない系」と勝手に名づけている分野がある。なさけない人の行動や心の動きを描写した歌や小説やマンガのことである。なぜかそういう作品がとても好きである。

歌でいうと、今思い出すのはユニコーン「エレジー」(「ケダモノの嵐」収録。もてない男が女の子を「部屋に遊びにおいでよ」と誘うせつない歌。渡辺満里奈が一言だけ参加)やスガシカオ「そろそろいかなくちゃ」(「4 FLUSHER」収録。「♪さえない日々だとは思う いろんなこと考えちゃいるけど」)。こんな曲を知っている人はほとんどいないと思うが、メジャーな曲が思い浮かばない。

松任谷由実全盛のころ、「彼女の歌を聴いて女の子たちは『私のことを歌っている』と思うのだ」と言われたものだったが、私にとっては「なさけない系」の歌は自分のことを歌っているという気にさせられる面がある。

マンガの「なさけない系」は福本伸行最強伝説黒沢」にとどめをさす。あまりにもなさけなさすぎて、第1巻を読んだところで次へ進むかどうか躊躇している。第2巻以降もあのダメダメぶりが続くのだろうか。インタビュー記事を読むと、どうも当分は続く感じである。

陰日向に咲く」は劇団ひとりの処女小説。彼の芸風はそれほど好きではないのだが、元モーニング娘。矢口真里とやっているテレビ番組「やぐちひとり」を観て頭のいい人だなと注目していた。そして最近この本がにわかに評判になっているので読んでみた。

5つの短編小説から成っていて、どれも「なさけない系」である。1つ1つがなさけなさの中にドラマを含んでいて、5編が互いに連係している。2つ目の「拝啓、僕のアイドル様」なんかには前述の「エレジー」と共通するものを感じる。夢中になってあっという間に読了。これはおもしろい。「なさけない系」が好きな人(そう自認している人が他にいるのかどうか自信ないが)にもそうでない人にもオススメである。

この人はまた小説を書くのだろうか。なんとなく、もう1作この水準を保つのはかなり難しいような気がする。予想を裏切ってまた夢中にさせてくれるのかどうか、楽しみである。

色覚異常(1) カーナビ

昨年、家族で北海道に旅行に行った。札幌→洞爺湖→函館と移動し、函館では市内をレンタカーでまわった。妻はペーパードライバーなので、今のところ運転はもっぱら私の役目である。

最近のレンタカーには無料でカーナビがついていることが多い。方向音痴の私にはもはや必需品。自宅の車でも普段から完全にカーナビに頼って運転している。

ところが、函館で乗ったレンタカーのカーナビにはいささかてこずった。地図上で走るべき道を示す線とそれ以外の道の色が似ていて、運転中にパッと見た時に見分けがつかないのである。じーっと見ているとなんとなく見分けがついてくるが、運転中にそんなことをするわけにはいかない。

見分けがつかない原因ははっきりしている。私が赤緑色弱だからである。妻は全然問題なく区別できるという。多分赤っぽい色と緑っぽい色になっているのだろう。結局、曲がるたびにいちいち画面を指して妻に「この道?」と聞きながら運転することになってしまった。危なくてしょうがない。

私の色弱は軽度なもので、日常生活で不便を感じることはほとんどなかったので、カーナビの道の色が区別できなかったのはちょっとショックだった。

とはいえこれまでにも、たとえば電車の時刻表で赤の数字が急行、緑が準急になっている場合に色合いによっては両者が見分けられなくて困ったことが何度かあった。あと、Microsoft Wordなどで間違ったつづりやおかしな文を入力すると単語や文の下に波線が出るが、その波線に赤と緑の2種類あることに長い間気づかなかった。どちらのケースも私の感覚からは、なぜ赤と緑という区別しにくい色にわざわざしているのか理解に苦しむのだが、普通の人には特に問題ないのだろう。発光ダイオード(LED)の色分けのほとんどが赤と緑なのも困ったものである。青色ダイオードがもっと普及してほしい。

色覚異常の検査によく使われる石原式色覚検査表を用いると差は如実に表れる。検索してみると、石原式の画像を載せているページがいくつかあった。私の見え方は以下の通り。

これまで意識したりしなかったりしながらつき合ってきた色覚異常について、何回かに渡って書いてみたい。私はまあ大過なくやってきたのだが、以下のタイミングでは色覚異常を意識せざるをえなかった。

  • 発覚
  • 進学
  • 就職
  • 結婚
  • 子供への遺伝

これらを順に書いていこうと思う。

(つづく)

Candlize(矢井田瞳)

Candlize

Candlize

渡辺真知子の「迷い道」という曲がある。「♪現在過去未来〜」というやつ。友人がこの曲を絶賛していた。特に「♪私はいつまでも待ってると誰か伝えて」というところ、「こんなメロディは普通思いつかない」という。

その時は「普通思いつかないメロディ」というのが今ひとつピンとこなかったのだが、矢井田瞳の「I’m Here Saying Nothing」を聴いた時は「もしかしてこういうメロディのことを言うのか?」と思った。冒頭の「♪こんなにもきれいな朝方の空に...」というところである。こんなメロディ、普通思いつかないかも。

ただ、なんとなくアイリッシュとかケルト音楽の香りがするので、そのあたりの音楽のメロディラインの影響があるのかもしれない。ヤイコはイギリス方面に縁があるみたいだし。いずれにしても、聴けば聴くほど味の出る、ヤイコの中でも最も好きな曲の1つである。

ヤイコの友人であるスウェーデンのメイヤがこの曲をぜひ歌わせてほしいと言ったらしく、英語で歌ったシングルが出ている(HMVのページで30秒だけ試聴可能)。ライブでメイヤが歌っているのも聴いたことがあるが、ヤイコのオリジナルの勝ちだと思った。一般に日本語の曲を英語で歌っているのを聴くとメロディがぐっときれいに聞こえて「やっぱり英語の方が日本語より歌に適しているのかな」と思うことがあるが(例: サザンオールスターズの曲を英語で歌う「Mid-summer Blossoms(真夏の果実)」シリーズ。まあこのシリーズがいいかどうかは別だが...)、この曲に関しては日本語の方が絶対合う。ちょっとうれしい。

「Candlize」はヤイコ2枚目のアルバム。全体的に1枚目より落ち着いた感じに仕上がっている。「I'm Here Saying Nothing」はアルバム用に再アレンジされたバージョンが収録されているが、私はどちらかというとシングルのバージョンの方が好きである。というわけで、シングル盤は滅多に買わないのにこの曲のシングルは買ってしまった。

daiya-monde(矢井田瞳)

daiya-monde(ダイヤモンド)

daiya-monde(ダイヤモンド)

先週の「僕らの音楽3」(4/28)のゲストは矢井田瞳だった。この番組ではゲストが「今一番会いたい人」を指名して対談するのだが、ヤイコが指名したのは笑福亭鶴瓶師匠。なんとベタな。しかし二人ともリラックスしていていい対談だった。なにも「あの素晴らしい愛をもう一度」を鶴瓶師匠と一緒に歌わなくても、一人で歌った方がいいのではないかとは思ったが。なんとこの回は「僕らの音楽」の歴代最高視聴率を記録したらしい。

「daiya-monde」はヤイコのメジャーデビューアルバム。私が何枚か持っているヤイコのアルバムはどれも好きだが、1つ推すとしたらこれである。とにかくストレートで元気がよくて気持ちいい。ヒットナンバー「My Sweet Darlin'」(「♪ダーリンダーリン...」である)はもちろんのこと、「もしものうた」(「♪新幹線に羽根が生えて ロンドンまで行ける日を待ってる...」という能天気な歌)のような、初期のアルバムならではと思える曲も入っている。彼女のライブやインタビューやドキュメンタリー番組を観ると、本当に音楽や歌うことが好きで一生懸命やってるんだなといつも思うのだが、このアルバムにはそれが素直に現れていると思う。

一番好きなのは「大阪ジェンヌ」→「I Like」と流れるところ。「大阪ジェンヌ」はパワフルなインストゥルメンタルで、これを聴くとサディスティック・ミカ・バンドの「塀までひとっとび」という曲を思い出す(曲自体は全く違うけど)。そして「I Like」につながるのだが、この曲も全くもってストレートかつパワフルである。何回聴いても飽きない。

以降のヤイコのアルバムは段々と洗練されていく感じがして心地よいのだが、このアルバムはこのアルバムでいつまでも聴いていくことになりそうである。

渡り廊下問題(2) 極限値

同じ階数の2つのビルの間を行き来する手段として、1階に加えて渡り廊下を1つ設ける場合にどの階が最も効率がよいかという問題の続き。ビルの階数に対する渡り廊下の最適位置の割合の極限値が気になるので、前回Perlスクリプトに計算させた「全ての移動の組み合わせに対する移動階数の合計」の一般解を与える式を求めてみることにした。こうなってくると、当初の「いつも使っている5階の渡り廊下は最適なのか」という問題を離れて、純粋に数学的興味である。

2つのビルの階数をnとし、渡り廊下をx階に設けるとき、片方のビルのa階から他方のb階に渡るときの最短経路は以下のように場合分けできる。

  1. a \gt xかつb \gt xのとき(出発階も到着階も渡り廊下より上)
    必ず渡り廊下を渡り、移動階数は(a - x) + (b - x)
  2. a \gt xかつb \le xのとき(出発階が渡り廊下より上で、到着階は渡り廊下と同じか下)
    必ず渡り廊下を渡り、移動階数はa - b
  3. a \le xかつb \gt xのとき(出発階が渡り廊下と同じか下で、到着階は渡り廊下より上)
    必ず渡り廊下を渡り、移動階数はb - a
  4. a \le xかつb \le xのとき(出発階も到着階も渡り廊下と同じか下)
    1階と渡り廊下のどちらを経由するのが近いかによりさらに場合分け
    1. (a - 1) + (b - 1) \le (x - a) + (x - b)つまりa + b \le x + 1のとき1階経由になり、移動階数は(a - 1) + (b - 1)
    2. a + b \gt x + 1のとき渡り廊下経由になり、移動階数は(x - a) + (x - b)

2.と3.の総和が同じになることを利用し、1, 2&3, 4-1, 4-2に分けてそれぞれ総和を求める。久しぶりにまとまった数式計算をしたのでめげそうになった。途中で「自然数の二乗の総和(\sum_{i=1}^k{i^2})」を求める必要があるのだが、そんな公式(\frac{1}{6}k(k+1)(2k+1))はすっかり忘れていた。ともかく全ての総和を足して整理すると、(1〜n階)→(1〜n階)のn^2通りの移動に対する移動階数の総和は

  • f(x) = -\frac{1}{3}x^3 + 2nx^2 + (-2n(n+1)+\frac{1}{3})x + n^2(n+1) (1 \le x \le n)

となる。前回作ったPerlスクリプトで、移動階数を地道に足していく代わりにこの式の値を使うようにしたら全く同じ結果になったので、正しそうである。計算量のオーダがO(n^3)からO(n)(xを1からnまで変化させるだけ)になり、劇的に速くなった。

さて、階数が十分大きいときに渡り廊下の最適位置がどのあたりにおさまるかを見るには、f(x)が1〜nの範囲のどこで極小値をとるかを調べればいいはず。f(x)微分すると

  • f'(x) = -x^2 + 4nx -2n(n+1) + \frac{1}{3}

これが0になる点を求めてみる。二次方程式の解の公式(これも久しぶりに使った)に当てはめ、1〜nの範囲に入りそうな解x_0を求めると

  • x_0 = 2n - \sqrt{2n(n - 1) + \frac{1}{3}}

で、求めたかった「ビルの階数に対する渡り廊下の最適位置の割合の極限値」は

  • \lim_{n\to\infty}\frac{x_0}{n} = \lim_{n\to\infty}\frac{2n - \sqrt{2n(n - 1) + \frac{1}{3}}}{n} = 2 - \sqrt{2} = 0.585786...

「階数が十分大きいときの最適位置は階数の0.586倍付近になりそう」と書いたが、めでたく正確な極限値がわかった。「e(自然対数の底)を使った式になるのだろうか」というのは全くはずれ。nxの三次式なので、eまで出てくることはないのだった。